詩人・黒田三郎(一九一九年~一九八〇年)

私が黒田三郎について書こうと思ったのは、最近、私が数十年、探し求めていた詩集「小さなユリと」を古書店の目録の中に見出し、購入したからである。

私が黒田三郎について書こうと思ったのは、最近、私が数十年、探し求めていた詩集「小さなユリと」を古書店の目録の中に見出し、購入したからである。

詩集 小さなユリと 発行所 昭森社 発行年月日 一九六〇・五・二〇 定価 金二五〇円

これを古書店の目録に見出しすぐ注文した。本が届いたのは数日後であった。牟礼慶子様・黒田三郎と献辞の記された本であった。私は彼の詩集を一冊ずつ集めて、その大半を所有しているが、どうしても入手できない一冊であったのだ。私はこの詩集の表紙を、一面に飾りお見せしようと思う。
さて、黒田三郎とはどういう詩人であったのか、「黒田三郎の父勇吉は、太平洋戦争における軍令部総長永見修身大将と、兵学校の同期であり、呉海兵団副長を最後に、ワシントン軍縮会議の結果、待命となって故郷鹿児島市に帰っている。そして勇吉の父、つまり黒田三郎の祖父は、明治十年の西南の役で、西郷軍にしたがって官軍と戦い三十才で戦死している。薩摩士族は、大言壮語をきらい、過剰な表現をもっとも嫌しんだ。 黒田三郎の詩の表現にも、その血はまぎれもなく流れている。さらに敢えていえば、詩を書く、おのれの感情を詩に表現すること自体は、彼は激しい羞恥をおぼえるものと僕は見る(中略)」
これは田村隆一の指摘であるが、これについて黒田三郎は次のように言っている。
田村隆一の文章は蕪雑(ぶざつ)でかなりいい加減なところもあるが、僕について、かつて誰も言ったことのない「血」について述べ、「おのれの感情を詩に表現するということ自体に、彼ははげしい羞恥をおぼえる」と指摘している。烔(けい)眼(がん)という他ない。
まず彼の詩をよんでもらうしか方法がない。 詩集・小さなユリとから引用してみよう。
「月給とり奴」
僕はこの道のしずかさにたえる
小さなユリを幼稚園へ送った帰り
きょうも遅れて勤めに行く道
働きに行く者は皆とっくに行って
しまった あとの

ひっそりとしずかな住宅地の 薄紫のあじさいの咲いている道 (中略)
バス道路へ出る角で 僕は言ってやる
「ぐずで能なしの月給取り奴!」
呟くことで ひそかに僕は自分自身にたえる
きょうも遅れて勤めに行く自分自身にたえる

黒田三郎の年譜についてふれてみよう。
一九一九年(大正八年) 二月二十六日、広島県呉市にて父勇吉、母万亀の三男として生まれる。
一九三六年(昭和十一年) 第七高等学校文科乙類に入学、同校卒業ののち
一九四〇年(昭和十五年)東京帝国大学経済学部入学、
一九四二年(昭和十七年) 二十三才 九月、戦争のためくり上げ卒業、南洋興発株式会社に入社。以後、東南アジア各国を転々とし黄麻農園管理などの業務にあたる。
一九四六年(昭和二十一年) 二十八才 七月帰国、十二月日本放送協会に放送記者として入社、以後ながく同協会に勤務、 一九六九年(昭和四十四年)十二月、同協会を希望退職。五十才。 以上の記述で黒田三郎は平凡に生きたひとのように見えるかもしれない。しかし彼はちがっていた。 彼は無類の大酒のみで、長い間、肺結核を病みながら、次々と病におかされる。過度の飲酒のせいの糖尿病、胃潰瘍、最後には咽頭ガンを病みそれが最後であった。一九八〇年(昭和五十五年))一月八日、入院先の東京女子医大病院でガンのため死去。享年六十一才。
黒田三郎の実像について、妻・光子の著書「人間・黒田三郎」にしたがってみてみよう。まずこの著書の目次を書こう。それによって内容の過半を知ることが出来るからだ。
「黒田三郎と三十年」
・世間を怖れぬ者
・スキャンダルの名手
・「恥」について
・殴り倒され男らしきを知る
・我が家のダイコン柱
・三郎NHKを辞す
・バスを降りそびれて
・黒田の「ユカイな女房」
・「酒の飲めない薬」を試す
・男の中の男 三郎バスに轢かれる。
・飲んだ。書いた。恋した。その生涯
・日本で二番目の大詩人 痛烈な詩人魂
・咆吼療の主
・ゴツゴツに生きる 精神コントロールのエキスパート
・黒田三郎、そのA面とB面 スマートな紳士と飲んだくれた駄々っ子
・三郎のなかのマジメ人間
・三郎の書いた詩 最期のいさぎよさ
・三郎の遺書「光子のことは僕が一番理解している」
・夫と酒瓶と私 命の恩人を追いかけて「オレの酒を返せーッー」
・「であること」と「見えること」 互いの悲しき片思い。
・かなしい西部劇 真夜中の壮絶なアトラクション(須田ユリ)

最期の「かなしい西部劇」の詳細についてかいてみよう。

昔、父が出した『小さなユリと』という詩集のことで、ひとに話しかけられるといつも困ってしまう。このなかに登場する二、三歳の女の子の名残りを三十歳にもなろうとする現在の私に見出そうとされているようで戸惑うのだ。
父の詩は私小説に対する「私詩」のように言われるそうだが、父の作品に書かれている場面や会話が実際にあったわけではない。それを在りのままのように受けとる人が居るとしたら、父は他人が思っているよりは才能豊かなのではないか、と思う。
でも、もし父があんな風に奇麗ごとにまとめたりせずに、ありのままに描いたら、更に痛切なユーモアとペーソスのドラマになりはしないだろうか?しかし母の意見は反対である。私の家の実態というものは、あまりにも風変わりで、他人の理解を遙に超えるものがあるから、ホームドラマにもメロドラマにもなりはしないで、せいぜいが茶番劇だろうと言うことだった。
泥酔した父が、帰宅する時も家の外では、光子、光子と母の名を連呼し、内に入るや今度はユリ、ユリと私を尋ねまわるのだが、その狂気じみた呼び声には、災害で逃げまどううちに、はぐれてしまった娘の名を叫んでいるかのような哀切な調子がある。では妻や娘の顔を見れば優しくするかと言えば決してそうではない。父の酔態についてはこの頃、新聞や雑誌に友人のかたがたが皆さん書いていらっしゃるので、自宅でのありのさまも少しはご想像がつくと思うが、とにかく壮絶きわまるものと言ってよい。時には急性アルコール中毒というものを起こして、とんだアトラクションがつくことがある。
いつかの冬の夜も、みんなでせっかく数時間をかけて寝かしつけたと思ったのに、また起き出して玄関へ出て行き、インディアンが来る!と騒ぎ出したのだ。ドアの覗き窓の蓋をおっかなびっくり持ち上げて、表をうかがっては「おいユリ、聞こえるか?」などと声をひそめて言う。私が「お父ちゃま、テレビの見過ぎよ」と否定し、弟も来てもう寝ましょう寝ましょうとせき立てると母も「そうよ、インディアンは石神井までは来やしませんよ」。父は耳も貸さずに、私にライフルを出せと言い出した。「俺のライフルだ、早く寄越せ」と怒鳴っている。私はうんざりして「嫌ねえ、お父ちゃま、ライフルなんて家にありっこないでしょう」。子供っぽくて、何でも面白がり、すぐお調子にのる母が、「ライフルがあっても、あなた第一、弾がありませんからね」。そんなことを言ったために激昂した父に「この糞ばばあ、そんな不用意なことでどうするンだ!」と髪の毛を掴んで引きずり倒された。仕方がないから弟と二人で右往左往、ライフルを必死に探す真似をしていると、耳を聲する大声で、「伏せろおーッ」と叫んだかと思った瞬間、私も母も弟も将棋倒しに床になぎ倒されていた。危険なのでストーブを消してあるから、寝巻き姿の三人が重なり合って這いつくばい、互いの躰の温みでじっと寒さをこらえていると、「灯りを消せ」、「保安官を呼べ」、「その死体を片づけろ」とやたらと命令を出し、自分も千鳥足で、あちこちにぶつかりながら動きまわっている。そのうち何だかホッホッホッと奇声を発しているので、見ると父は今度はインディアンの側にまわったらしい。片足とびに跳びはねる恰好が振っている。 母が笑うと父はあおられたようにますます跳び上がって、ホッホッホッと大熱演だ。私も弟も眠さは眠し、不機嫌に歯をガチガチ言わせながら、父が疲れて寝てくれるのをひたすら待っていたが、隙を見て自分の寝床へもぐり込むことが出来た。この深夜の西部劇は何時間ぐらい続いたのだろう。長いようで案外十五分か二十分だったのかもしれない。
あとでトイレに起きて行くと、あたりは静かになっていて、玄関脇に父があお向けに倒れ、刀折れ矢尽きた態で何かうわ言のように言っている。傍にかがみこんでいる母に向かって、「わしのことはいいから、光子お前らは逃げろ。俺の馬に乗って、早く、逃げるんだ」と、まだやっていたのだった。
あの西部劇ごっこの夜のように、「俺を置いて行け」という父の言葉に叱咤されて私たちは今、父を一人だけ見捨ててきてしまった。そして私たちは互いにそのことに触れないように知らん振りして暮らしている。けれど、あの可哀そうな父親を独りだけ、人っこ一人居ない場所に置いてきぼりにしたという意識が、心の深くに刺のように突きささって、日が経てば経つほど、動けば動くほど疼くのだ。
黒田三郎の詩の数々はどうか「現代の詩人4 黒田三郎」中央公論社刊によってお読みいただきたい。
僕の好きな短詩一篇を次に記す。

「自 由」
夕飯の食卓
僕は小学三年生の息子と向き合い
妻は大学生の娘と向き合って座る
「早く死んでくれないかなぁ よっぱらいお父様」
そう言って息子はじろりと僕の顔を見る
さすがに一瞬妻も娘も鼻白む
だから僕は笑って言ってやるのだ
「こんな言論の自由なところってどこにあるかい」

黒田三郎がただ一回だけ自作について語った文章があります。
自作を語れと言われたのには困ります。弱って、ひそかに心の中で、これ以上恥をかかすなとつぶやいている始末です。
僕にとっては詩をかくことがすでに恥をかくことです。そのうえ恥の上塗りはごめんだよ。そう言いたいところです。
今さら、ああだ、こうだと言っても、もう遅い。作品は作者の手を離れているのです。僕もひとりの親馬鹿のように、ああだ、こうだと思わないわけではありませんが、それを言ったところで仕方がない。作者というものは決して自作のいい読者になれるわけではないのですから。 昭和四十一年十一月刊思潮社版「現代詩大系」(全七巻)第一巻より引用。 黒田三郎はあくまで「含羞の人」であった。生きていること自身に恥じていた。
今のこの最もハレンチな時代に、彼の詩は貴重であり、いつまでも輝き続けるだろう。
平成二十六年一月八日 深更 中西 久夫

〈参考文献〉
・詩集 小さなユリと 一九六〇・昭森社版
・新選 黒田三郎詩集 一九七九年六月一日版
・赤裸にかたる 詩人の半生 一九七九年九月十五日初版・新日本出版社版
・死と死のあいだ 一九七九年三月一日初版 (株)花神社
・日本の詩集16 黒田三郎詩集 昭和四十八年三月十日 角川書店
・人間・黒田三郎 黒田光子 一九八一年十二月一日 (株)思潮社
・失はれた墓碑銘 一九五五年六月一日 昭森社刊
・詩集 ある日ある時 一九六八年九月一日 昭森社刊
・黒田三郎日記戦中篇 全四巻 思潮社刊 その他数作の個別詩集については略

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