髙間筆子 -早すぎる天才画家の死

今回は髙間筆子という奇妙な画家について、語りたい。何故奇妙なのか、その訳は現在彼女の絵は一点も存在しないということなのだ。

今回は髙間筆子という奇妙な画家について、語りたい。何故奇妙なのか、その訳は現在彼女の絵は一点も存在しないということなのだ。

それは筆子の描いた絵のすべてが一九二三年九月一日に発生した関東大震災によって焼失し、今やこの世に一点ものこっていないからである。この未曾有の大震災は、東京下町を中心に壊滅的な被害をあたえ、とくに筆子が生まれそだった永代橋界隈、本所深川、日本橋あたりは一面の猛火につつまれ、一夜にして草の根一本生えない焼跡と化した。隅田川ぞいの筆子の生家にあった遺作の数々は、この火災によって一切が灰になったのである。
われわれが知りうるのは、筆子が没した翌年、一九二三年の一月に刊行された「髙間筆子詩画集」によってのみである。この詩画集は、生前筆子が所属していた若者画家のグループ「地平社」の同人たちの有志の手によって編集・刊行されたもので、A5判の上装函入り、図版二十八点(うち原色版が八点)、絵ページ数百三十二ページという筆子への哀惜一色にうずまった本で、現在ではきわめて入手困難な稀な詩画集であった。

筆子は一九〇〇年十月十日、中央区新川一丁目四番地七号の回漕問屋「丸惣」の第四女として生まれた。
一九一七年に虎の門の女学校を卒業した筆子は、兄惣七(のちに花と鳥の画作によって高名な洋画家となる)の感化によって油絵を描きはじめていった。兄、惣七の回顧によれば「京橋の自宅に行くと、彼女は全身に精神的な変調を来たすことがあった。彼女は全身にある震えがあるような緊張と眼や耳が赤くなって、物象をおそろしい顔で睨みながら静物を描いていた。」彼女の制作は深夜までにおよび、絵筆をもったまま仮眠状態となり気が付くと朝になっていたという日がつづいた。
彼女はまた断片的に詩を書いている。

風よ

風よ吹くな〱
汝 風よ吹くな
木だって可愛そうではないか
あはれな木
お前がさうゆすると
悲しい木になる
かよわい木ではないか
さそ吹くか
可愛そうな木に

静かにそよ〱吹くと歌ふてやれ

生まれながらに

生まれながらに定められた
縁と思ふてあきらめます
たった一人の私
それも何とも思ひませぬ
それから私はどうなるか
そろ〱そろ〱進んでいく

その日一九二二年五月九日午前十時十分、筆子はふだんの寝巻姿のまま布団の上にきちんと正座して、例によって、ブツブツと口の中でつぶやいていた。
突然、筆子は二階の窓の障子をつきやぶり頭からとびこむように表通りの石路に身を投げた。使用人数人がかけつけたときに筆子はすでに虫の息だったという。
往来のない朝の路上には、筆子がつけていた紅いセルロイドの赤い椿の髪留めが一つ転がっていた。

〈参考文献〉
髙間筆子幻景 窪島誠一郎
髙間筆子詩画集 髙間筆子
額のない絵 窪島誠一郎

次回は、杉本 鷹画伯について書く。私自身の師であるからだ。

十月二十日 中西 久夫

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