「恋の絵画」・狂狷の詩人画家―島村洋二郎

青い光、一つの不思議な香いを放つ青い光、無限に悲しく澄み切ってゆく、冷く、燃えひろがってゆく青い光」洋二郎は手帖にそう記した。

「青い光、一つの不思議な香いを放つ青い光、無限に悲しく澄み切ってゆく、冷く、燃えひろがってゆく青い光」洋二郎は手帖にそう記した。その《青い光》は画家の死後約60年を経た今、地上のどんな闇よりも深い黒冥の中で一層光をつよめてゆくように見える。

島村洋二郎の37才の生涯とは一体どんなものであったであろうか。彼の生涯そのものが変転にとんでおり、それは得恋と失恋のはげしく交錯するものであった。そのような彼のたどらざるをえなかった生そのものが、彼の絵画にするどく投影されているからだ。

◇1916年(大正5年)彼は東京都牛込区において父恵次郎、母小千代の2男として生まれた。
◇1935年(昭和10年)19才、旧制浦和高等学校に入学。9月画業に専念するため同校を退学。黒見勝蔵に師事する。
◇1941年(昭和16年)25才、林幸と結婚。
◇1945年(昭和20年)29才、中支戦役より帰国。当時すでに重い肺結核におかされていた。
◇1947年(昭和22年)31才、林幸と離婚、
◇1948年(昭和23年)田沢君子と結婚、
◇1949年(昭和24年)33才、自由美術展に入選。
◇1951年(昭和26年)35才、肺結核が悪化・その前年入院していたが、3月退院。妻君子の出奔を知る。

以後居を定めることなく、家財道具、油絵具まで一切を売りはらい、各地を放浪する。

◇1953年(昭和28年)37才、妻たちは逃げ去り、この頃彼は赤貧の極にあった。油絵具が買えないため、クレパスで画用紙に描いた。大喀血をする。7月29日北区滝野川病院にて死去。

洋二郎はその37才の生涯において、青く暗い絵の多数を残したが、彼はまたすぐれた詩人でもあった。そのすぐれた詩のいくつかを次に写してみたい。

夜ふけに

あなたと離れ
あなたを思い
苦しい幾日がすぎて
ふと夜ふけに
恋人よ、私は思い浮かべた
あなたに贈る
小さな一つのオルゴールを
きんもくせいの匂う
わたしたちの青い窓辺で
明るい月の光の
一杯にさしている中で
遠い日のあのなつかしい唄を奏でる
オルゴールを

◆◆◆

今わたしは女を憎んでいる
わたしはこんなにまで狂おしく
お前を愛してしまったから—
燃えていて苦しいと叫びたいのだ
わたしはお前を愛しています

画家に限らず詩人・作家その他芸術家は全て心の内に狂狷(狂気)をもっていないといけない。その狂気が見者に伝播し、深い感動を呼びおこすのだ。その狂気のゆえに、あるものは夭折し、またあるものは自殺した。

曾て太宰治は、その死の前年「如是我聞」において、当時のいわゆる「文壇」の最高峰文豪・志賀直哉を痛烈に批判した。「君について、うんざりしていることは、もう一つある」それは芥川の苦悩がまるで解っていないことである。

日陰者の苦悶。
弱さ。
聖書。
生活の恐怖。
敗者の祈り。

現在、志賀直哉の「暗夜行路」を読む若者がどれだけいるだろうか。太宰の作品は現在でも若者の間でますます広く熱狂的に読みつがれている。私はひきつづき狂狷の画家・詩人たちについて語りつづけたい。次回は画家・小泉清について書こう。彼は小泉八雲の3男で、すぐれた画家であるが、いわゆる小泉八雲正伝の中から抹殺されてしまっている。何故なのか。彼が自殺したからなのか。私は鎮魂と抗議をこめて書こうと思う。

2011年6月8日 中西 久夫

《参考文献》
1島村洋二郎画集 宇佐見英治
2さらば気まぐれ美術館 洲之内 徹
3太宰治全集・第10巻 太宰 治
4呪の思想 白川静・梅原猛

 
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